みなさんごきげんよう。早いもので2021年の終わりが見えてまいりましたね。さて、本日のお話はとてもネガティブです。「そんなん読みたかねーや」という方はどうぞお戻りください。端的に言うと「先生にものすごく嫌われたらしい」という内容です。
最近のゆ屋の精神状態はひどいものでした。世間の流れに従ってオープンに書きますが、原因はズバリ生理です。読者のみなさま、少し気まずいかもしれません。ごめんなさい。でも「そういうこともあるんだな」程度で構いませんので知ってほしいです。人によって生理に伴い現れる反応は違います。な~んにも問題ないよ、という人もいれば、頭が痛い、お腹も痛い、といろいろな症状に苦しむ人もいます。 ゆ屋は後者です。身体的な痛みがあるほか、精神的にとても脆くなってしまいます。特に生理一週間前くらいの落ち込み方はひどいものです。そんなわけで大変センシティブになっている時にとある先生が私のトラウマに触れるようなことを言いました。 「もっと大きな声で!」「もう一度!」「もう一度!!」 「みなさん今ゆ屋さんが言った答えは正しいですか?正しくないですよね?」 小学生の頃、声が小さいからという理由で体育館に居残りさせられたこと。ゆ屋なりに精一杯大きな声を出していたんですけどね。 同じく小学生の頃。上記と全く同じことを先生がよく言っていました。間違っている場合、生徒にも「違います!」と唱和させます。先生にも、クラスメイトのみんなにも否定されるのが苦痛でした。今だからこそ「答えを否定されたのであって自分の人格を否定されていたわけではない」と分かりますが、幼いころはそれが分からず悲しく思っていました。 センシティブな時は特にこのような嫌なことを思い出しやすくなります。もちろんクラスではみんなに聞こえるようにハッキリ話す必要があることは重々理解しています。でも先生、なんでわざわざ携帯いじってる子を選んで「今の聞こえた?ゆ屋さん、もっと大きな声で!」なんて言うの…? どうしてみんなに「これは正しいですか?」って聞く必要があるの?他人が間違えたところは自分も間違えるかもしれない。良い学びの機会になる。だからみんなに私の間違えた個所を示して、解説するのは理解できる。でもね、先生のその聞き方、態度、センシティブな時には少しつらいんです。 家に帰ってから、少しためらいましたが、自分の生理にまつわるセンシティブな現状を説明した上で、「クラスで少し居心地の悪い思いをしています」とメールで伝えました。その日のうちには返事がなく、翌朝授業前に先生にメールの内容についてどう思ったか聞いたところ、まだ読んでいない。今日読むから待っていて。とのこと。
翌日。朝、挨拶をしながら教室に入ります。いつもにこやかに挨拶を返してくれる先生が嫌にそっけない。この時点でなんだか嫌な予感がするな…とは思いました。悩みや問題をうやむやにしたくないので、しつこいかもとは思いつつメールの件を尋ねてみました。すると先生は「授業の準備で忙しいから後にして」と一言。それもそうかと思い大人しく引き下がりました。
この日の授業はとても苦痛でした。先生は私と目を合わせようとしない。指すときも名前を呼ばず、ほんの一瞬こちらを見て「えーと…はい、この問題を答えて!」と。答えたら答えたで「違う。それじゃダメ。こうしなさい」と強い口調で否定。また、換気のために窓が開けられており、窓際に居て寒くなってきた私は窓を閉めてもいいか尋ねました。暖房がついておらず、ちょうど冷えこむ日で手指がとても冷たかったのです。いつもなら「もちろん!」と言われていたところを、この日は「だめ。寒いなら席を移動すれば?」とのこと。仕方なく上着を着こみました。スペイン語にはNの上に波線がくっついた「ñ(エニェ)」という音が存在します。皆さんの国にはこの「エニェ」という音はありますか?と先生が一人一人に尋ねていき、私の番になって「日本にはないわよね」と私が答える前に決めつけて発言さえさせてもらえませんでした。
お世辞にもメンタルが強いとは言えない私は授業後、怖々と先生に話しかけました。すると「これから会議があるの。忙しいから後にして!」とのこと。 後で。今忙しい。 「後で」っていつ?ずっとそう言ってばかり。その上今日の授業中の冷たさは何なの?耐えられませんでした。涙が止まらなくなってしまいました。それでも先生は鬱陶しそうに私を一瞥して教室を出ていきました。2限目を担当する先生が準備のために教室に入ってきて、辛抱強く私の話を聞いてくれました。「君は悪くないよ」とも言ってくださいました。本当にそうなんだろうか?あんなに優しかった先生が豹変したのは私がわがままで子供みたいなことを言ったからなんじゃないか。そんなことが頭を過りましたが、もしそう思ったなら正直にそれを伝えてほしいとも思いました。なぜ何も言ってくれないのだろう。何でもいいから思っていることを言ってほしいと泣きながら思いました。
この日はちょうど年内最後の授業で、全クラス2限目を少し早く切り上げて、外のテラスに集まって軽食を食べたりおしゃべりをするミニパーティがありました。私としては先生との諍いを抱えたまま冬休みを迎えたくなかったので、あらかた食事を終えて先生も生徒もみんなくつろいでいる中、件の先生に話しかけてみました。
でもだめでした。先生は「ほかの先生と一緒に片づけを手伝うから忙しい」と言いました。誰も片づけなんか始めていないのに。また涙が止まらなくなってしまいました。「今日のあなたは私に対して普通じゃない。怒っているのですか?思っていることがあるなら何でもいいから言ってください」つたないスペイン語でしたが、はっきりそう言いました。先生は「時間をちょうだい。今忙しい」と答えました。考える時間ならあったじゃない。いつまで待てばいいの?年が明けて、授業が始まったらちゃんと話してくれるの?こんなモヤモヤした嫌な気持ちを抱えたまま年を越せって?仕方なく泣きながら帰りました。
その日の夜、いくら待っても先生から全く連絡が来ず、最後のチャンスだと思ってまた先生にメールしました。返事がきました。以下全文です。
Entiendo el problema del síndrome que me mandaste. Por otra parte, mi actuación en clase lo único que pretende es que el estudiante aprenda el español. Nunca es hacerle sentir mal, ni personal ni académicamente. Te deseo felices fiestas.
ざっくり訳すと、「あなたの症状を理解しました。私が望むのは生徒がスペイン語を学ぶことだけです。個人的にも学問的にも居心地が悪くなることはありません。よい休日を」といったところでしょうか。
そうじゃない。私の意見に対しての賛否もなければ、この日の態度の豹変についても何も書いていない。また逃げてる。また私と向き合うことを避けている。ああ、私のこと嫌いになったんだな。この人とコミュニケーションをとるのはもう無理なんだ。この瞬間諦めました。
でも。私のこと嫌いでも何でもいいから、授業中だけはみんなと同じように扱ってくれないかな。公私混同もいいところだよ。私お金払ってますよ。自分で3年間苦労して貯めてきたお金払って今ここで学んでるんですよ。あなたそのお金をもらってますよね?
でも本音を言えば優しかった先生が豹変して急に冷たくなったことにとても傷ついたし、何より何も言ってくれないから先生の考えていることが全く分からないのが一番つらいです。
おまえなんか嫌いだから話したくないよ。私の授業のやり方に口出すんじゃないよ。しつこく話しかけてくるな。
どれでもない。何も言わない。ただ私を避けるだけ。
私がいけないの?私が全部悪いの?悲しい。とても悲しい。ハキハキ話すようにもっと努力するし、間違えたところを強く否定されても耐える。だから何か言ってよ。何も言ってくれなかったら何もわからないよ。
悲しみが怒りに変わったり、また悲しさを思い出したりする日々を送っています。早く忘れるべきですね。一人の先生に嫌われたからって何だっていうんだ。そんなふうに思えたら楽なんだけど出来ないなあ。
そんなこんなで長くて暗いお話を書いてしまいました。みなさんに伝えたいのは「ちゃんと言葉にしよう」です。怒っている時、今口を開いたら相手を傷つけることばかり言ってしまいそう…。そんな時「一旦冷静になりたいから待って。」と伝えてみてはいかがでしょう。「2週間待って」など、具体的な時間を伝えられるとより良いかと。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。ゆ屋はこれらをいったん忘れて元気に楽しく過ごす努力をしてまいります。
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